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真珠界の悪魔?救世主?知ってそうで知らない。シャネルと真珠の関係。
真珠界の悪魔?救世主?知ってそうで知らない。シャネルと真珠の関係。
世界有数のファッションブラントをつくり上げ、古い規範や常識から女性を解放したカリスマとして知られるココ・シャネル。
無類のパール好きとしても知られ、コスチュームジュエリーを普遍のものとした彼女の提案するスタイルは真珠業界にとっても大きなインパクトを与えてきました。
1926年に発表したリトル・ブラック・ドレスと呼ばれる黒くストンとしたストレートのシルエットのそのドレスは、当時の女性から圧倒的な指示を得ましたたが、その黒一色に気品と美を与えるアイテムとして重宝されたのが他ならぬ真珠でした。当時のアメリカ版『ヴォーグ」に掲載されたイラストからも、リトル・ブラック・ドレスに真珠のネックレスとイヤリングが描かれています。
また1954年には、70歳を超えたシャネル渾身の作品、シャネル・スーツを発表し、モードの女王として復権を果たすとともに、その存在とスタイルを不朽のものとしました。
彼女が提案するスタイルは、当時のセレブリティたちからも圧倒的な支持を受け、半世紀を超えた今でもひとつのスタンダードとして色褪せず女性たちから愛されています。
シャネルのコーディネイトが真珠の時代を変えた。
彼女のスタイルには真珠の存在が不可欠といってもよいほど、彼女は真珠を愛し、また積極的にコーディネイトに取り入れましたが、その使い方は彼女らしく、従来の価値を一変させるものでもありました。
彼女は、特権層の純然たる富の象徴として身につけられていた宝飾品を、時代遅れのものとして忌み嫌い、服に合わせて身につける模造品でできたアクセサリーを身につける、コスチュームジュエリーという新たな分野を確立しました。
これは、宝飾界全体にとってこれまでの価値基準の破壊であると当時に、新たな価値観と市場の創造でもありました。当時まだ完全なる評価を確立させていなかった日本の養殖真珠にとっては、彼女の提唱したスタイルがその普及への強い追い風となったのでした。
シャネルは、高級宝飾品であった天然真珠に、養殖真珠や模造真珠をミックスしてコーディネイトしました。そのようにすることで彼女は、特権層の純然たる富の象徴として身につけられていた天然真珠と、養殖真珠や模造真珠の価値を相対化し、真珠を纏うという行為に新たな光をあてたのです。
彼女の存在がなければ、おそらく真珠業界は今に連なるその後の隆盛を誇ることはなかったに違いありません。
現在では高級品としての地位を確立しているアコヤや南洋真珠なども、ただ高級品として見に纏うだけでなく、様々な素材のアクセサリーと組み合わせてコーディネイトしてみると、高貴さと遊び心を備えた新鮮な魅力が増すのかもしれません。
銀座ワタツミでは、貴方にふさわしい真珠をお探しするために、商品のご案内からコーディネイトのご相談まで商品選びの様々なお手伝いをいたしております。試着や撮影も自由にできますのでお気軽にお越しください。