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アコヤ真珠(パール)の優美なドレスを身にまとった妃!
妃が身に着けたアコヤ真珠(パール)の優美なドレス
アコヤ真珠の美しいドレスについてご紹介いたしましょう。イギリス国王チャールズ一世の妃ヘンリエッタ・マリアの1635年ごろの肖像画があります。チャールズ一世は清教徒革命で1649年に処刑されますが、肖像画は二人が幸せだった時期に描かれています。
巻き毛の可愛らしいヘンリエッタ・マリアは、光沢のある濃緑色のドレスを着ています。ドレスには透明感のある美しい真珠が幾何学模様を作りながら刺繍されていて、優美で豪華な衣装となっています。大量の真珠を使っていますが、エリザベス一世のころとくらべると、真珠の使い方が洗練されてきています。
透き通った美しい真珠がこれほどまでにそろうのは、アコヤ真珠だからでしょう。やはりアコヤ真珠の粒がそろったデザインはいつの時代も憧れだったのでしょうね。 チャールズ一世の時代、イギリスはペルシア沿岸部のバンダレアッパーズに商館をもっています。これらの真珠はアラビア湾産かもしれないといわれています。
大粒のバロック真珠の到来!
大航海時代になるちお、いびつな大粒真珠も知られるようになりました。
クロチョウガイは円形の大粒真珠やドロップ型真珠ばかりでなく、ゆがんだ真珠も作り出します。フィリピンなどに生息する世界最大のシロチョウガイも同様です。天然真珠時代は変形真珠の方が多かったのです。
ポルトガル語 バローコからバロック真珠(パール)となったのです!
インドではそうした変形の真珠の需要も高かったです。そのためゴア在住のポルトガル人はアラビア湾クロチョウガイの真珠を入手しては、せっせとインドに運んでいました。いびつな真珠はポルトガル語では「バローコ」と呼ばれましたが、フランスなどに入って「バロック」となり、17~18世紀の芸術の一様式の名称となりました。
ポルトガル人は真珠、とくにアラビア湾アコヤ真珠を「アルジョーファル」と呼んでいました。「アルジョーファル」は、アラビア語で「宝石」とか「真珠」を示す「ジャウハル」からきた外来語でした。しかし、クロチョウガイやシロチョウガイの大粒真珠が登場するようになると、「アルジョーファル」は次第に小粒真珠やケシ真珠をさすようになりました。
ユニークな形のバロック真珠をどのように使うかが腕の見せどころ!
大航海時代は大小さまざまな真珠が知られるようになりましたが、バロック真珠は、ヨーロッパ金銀細工師たちの創造力を刺激しました。
ユニークな歪んだ真珠をどのように使うかが細工師たちの腕の見せ所だったようです。大粒バロック真珠を雄羊の胴体としたペンダントがあります。母貝はクロチョウガイと考えられています。天然真珠の面白さを教えてくれる名品となるでしょう。
(参考文献:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)