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フランシスコ・ザビエルの布教活動と真珠の関わりとは!?
南インドの真珠採りの民
ポルトガルはアラビア真珠を掌握した後、南インド東南側の産地にも目を向けました。
かつてこの地は、真珠の王国として名高いタミル民族のパーンディヤ朝が千七百年にわたって君臨していました。パーンディヤ朝は1323年に滅亡しますが、これまでパーンディヤ王の庇護の下にあった真珠採りを専門とする海の民の存在が明らかになりました。彼らはタミル人のカースト集団でした。15世紀はじめになると、この真珠採りの民を支配下に置こうと、ヒンドゥー教徒の諸王やイスラーム教徒たちが侵略を繰り返していました。ちょうどそのころ現れたのがポルトガル人でした。
フランシスコ・ザビエルがインドに派遣される!
ポルトガル人はこの真珠採りの民をパラワス人(パラパス人)と呼び、パラワス人が暮らす南インド東南側の海岸を漁夫海岸と呼んでいました。1520年になるとポルトガル人長官がこの漁夫海岸を支配するようになったのです。パラワス人の集団改宗も実施し、彼らから真珠採取税を取るようになりました。しかし、規律が乱れはじめ、パラワス人を再び信仰に導く必要がありました。そこで、インドに派遣されたのが、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルだったのです。
フランシスコ・ザビエルは精力的な布教活動!
1542年5月、ザビエルはインドのゴアに到着し、コモリン岬からトゥティコリンにいたる漁夫海岸で布教活動に乗り出しました。ザビエルは、一日で村中すべての漁夫に洗礼を授けることもあれば、一カ月で1万人の漁夫を改宗させたこともありました。そして、タミル語に訳した福音を暗記しており、キリスト教の祈りの仕方や教理をパラワス人に教えていきました。
ザビエルのもうひとつの任務とは!?
また、信者になったパラワス人にきちんと真珠採りをさせることもザビエルの大切な任務でした。助手にあてた手紙では、不従順者は真珠採りに参加させないように指示を出し、別の手紙では、夫が真珠漁で不在のとき、ヤシ酒を飲む女を見つけたら、罰金を払わせ、三日間拘留するようにと命じています。真珠漁から戻ってきた男に病人がいれば、福音書を読み、深い愛情で接するようにと語る手紙もありました。
ザビエルはマンナール島での布教活動で挫折する!
しかし、ザビエルはマンナール島で、約1000人のパラワス人をカトリック教へ改宗させましたが、セイロン島のジャフナ王の巻き返しでうまくいかず、挫折感を味わいます。
ザビエルの布教活動は日本にとっても重要であった!
ザビエルの漁夫海岸での布教活動は、日本ではそれほど関心を集めませんでしたが、次のふたつの点で重要なことがります。
ひとつは、ザビエルの布教活動は真珠の産地のキリスト教化ということです。ザビエルが活動した漁夫海岸は旧パーンディヤ朝の版図であり、紀元一世紀のエリュトゥラー海案内記では材にが真珠採取を行っていると記された地域でした。イエズス会の布教は、カトリック教徒の潜水夫を作り出すという目的ももっていました。1552年ごろは南インドの漁夫海岸と西南側の海岸で五万人程度のカトリック信者がいたと考えられています。
もうひとつの重要性は、真珠採りを専門とする民の存在を明らかにしたことでした。実はアラビア湾にもバヌー・サッファーと呼ばれるアラブ系の真珠採り集団が存在しており、14世紀のイブン・バットゥータが彼の旅行記の中で言及しています。こうした真珠採りの民族集団については、研究がまだ十分進んでいませんが、日本の海人との比較からも興味深いように思われます。
(参考文献:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)
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