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遂に、ポルトガル人がインド洋交易の中心地、アラビア湾の真珠採取を得た!
真珠と馬がインド洋交易の切り札だった!?
アラビ湾のアコヤ真珠、クロチョウ真珠、アラビアとペリシアの馬がインドに運ばれ、インドのコショウ、クローブ、生姜、カルダモンなどがアラビア方面に向かうのです。
真珠と馬が、インドのスパイスと交換できる重要な交易品であるようでした。
灼熱のインドの地では馬は長生きできないので、インドは早くから馬の輸入国、消費国となっていました。真珠についても、アコヤ真珠の産地は南インドに限られていましたので、他のインドの王朝は真珠にあこがれを抱いていました。インドでは採れない大粒クロチョウ真珠も人気がありました。
宝石が集まる交易の一大拠点、ホルムズ王国のこと
14世紀になるとアラビア湾の真珠採りは活況を呈するようになりました。アラビア湾の入り口にあるホルムズ島は、真珠をはじめ、アラビアやペルシアの馬、インドのスパイスや綿織物など、あらゆるオリエントの財宝が集まる交易の一大拠点でした。島は、イスラム教徒のホルムズ王国が支配していました。島は、イスラム教徒のホルムズ王国が支配していました。世界がひとつの指輪だとしたら、ホルムズは指輪にはめこまれた宝石だといわれていたのです。
ポルトガルとホルムズの衝突は地獄さながらの光景だった!
1507年ポルトガル人司令官が率いる船隊がホルムズ沖に姿を現しました。そしてホルムズ市内に砲撃したのです。その後、ホルムズの人々にポルトガル王の臣下となるよう要求しました。ホルムズ側が拒否すると、翌朝から激しい激戦となりました。
ポルトガルとホルムズの船隊の衝突は地獄さながらの光景でした。ホルムズ勢は120以上の船で防戦しましたが、多くの船が沈没させられました。ホルムズの人々は、服従は死に等しいが、回復の手段があるという理由で、ポルトガルに降伏したのです。
ついに、ポルトガルはアラビアの真珠を掌握した!
その後、ホルムズは反旗を翻しましたが、1515年に再び服従されました。ホルムズはポルトガル人長官に統治され、バハレーン島にはポルトガル人の商務官が派遣されていました。そしてアラビア湾でとれる真珠を徴収しました。真珠採取自体はアラビア人やペルシア人の船主が行っていましたが、ポルトガルはアラビアの真珠をついに掌握したのです。
ポルトガルがホルムズを狙ったのはこの島がインド洋交易の中心地で、他勢的に重要だったからです。この地が真珠の集散地だったことをわすれてはならないでしょう。
(参考文献:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)
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