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パナマの黒蝶真珠の発見、そしてポルトガル人のインド交易の開始の事実!
大粒真珠(パール)の産地パナマの発見!
中南米ではパナマクロチョウガイの大粒真珠も知られるようになりました。
スペイン人はコロンビアからパナマ地峡を越えて、ついに太平洋を発見しましたが、太平洋こそがパナマクロチョウガイという大型真珠貝の生息地でした。この貝は灰色の大粒真珠やドロップ型真珠を生み出しましたが、白色の真珠を作るときもありました。これまでクロチョウ真珠の産地といえば、アラビア湾と紅海でしたが、パナマという大粒真珠の産地も加わることになりました。
南米の富となったパナマとベネズエラの真珠!
パナマの先住民たちは長い年月をかけて集めた真珠の籠をいくつももっていました。しかし、スペイン人がこの地に到達すると、彼らの真珠は徹底的に略奪されたのです。そして、パナマの太平洋側でも先住民を使役する真珠採取が行われるようになりました。
歴史で南米の富といえば、インカの金銀財宝とポトシの銀が有名でしょう。しかし、インカ帝国の発見は1532年で、ポトシ銀山の発見は1545年です。それ以前の南米の富となったのはコロンビアの金とともにパナマとベネズエラの真珠だったのです。
ポルトガル人がインド洋交易を得た難航とは!?
東方ルートのインド航海はたしかに富をもたらした。しかし、そう簡単な航海ではありませんでした。往復で1年半から2年かかり、壊血病で死者は続出しました。寄港する港には敵が多かったのです。持参した商品はケチをつけられて、買いたたかれてました。インドの商人たちが欲しがる黄金もポルトガル人はそれほどもっていませんでした。
インドのスパイスや財宝を得るもっとも有効な方法は、武力を使うことだったのです。1502年、インド洋に再び到着したガマの船隊は、乗客300人の大型船を追撃しました。船に火を放ち、数名の子供を除き、乗客全員を殺害したのです。カリカット王との交渉が難航すると、その住民32人を殺害します。その死者をカリカット王に送り付けるなどした後、ガマはインド西南側のカナノール王国の王などから南館を開設する許可を得ました。
こうして、インドに地歩を得たポルトガル人はインド人、アラブ人、ペルシア人商人たちが行うインド洋交易を観察するようになりました。
(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)
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