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美しい海の真珠が採れる地はインドと日本だった!
インドと日本が美し真珠が採れるところだった!
マルコ・ポーロは「東方見聞録」のなかで、オリエントではインドと日本で美しい海の真珠が採れることを報告しています。これらの地域への到達は15世紀のヨーロッパ人の悲願でした。次の3つのルートあったのです。
- 1. エジプト・紅海・インド洋ルート
- 2. アフリカ大陸を迂回する東方ルート
- 3. 大西洋を突っ切る西方ルート
一番便利なのは、エジプト・紅海・インド洋ルートでした。このルートはイスラーム教徒に牛耳られていて利用できなかったのです。ですので、東方ルートか、西方ルートかの選択でした。東方ルートではポルトガルが先行しており、1488年にアフリカ南端の喜望峰まで達していました。
日本で真珠と黄金が得られるはずと信じたクリストファー・コロンブス!
一方西方ルートは、地球が丸いことを前提に大西洋を西に進むコースでした。東方の一番端にある日本に最初に到着しました。日本では真珠と黄金が得られるはずでした。当時の人々は西方ルートを無謀だと考えていましたが、スペインが支援するクリストファー・コロンブスはその可能性を信じていたそうです。
真珠の産地における狂騒が幕を開けた!
こうして西方ルートのスペインと東方ルートのポルトガルのオリエント到達競争が始まり、領国の激しいつばぜり合いが続くなか、真珠の産地における狂騒がはじまったのでした。
コロンブスの第一回航海
スペインとポルトガルのオリエント競争は、ポルトガルのジョアン二世がコロンブスの西方ルートの企画を却下したときから始まりました。失意のコロンブスは、ポルトガルを去り、スペインにわたりました。1492年グラナダのイスラーム王朝が滅亡すると、余裕が出たイサベル女王とフェルナンド国王がコロンブスの西方ルートを了承しました。
コロンブスの船隊はスペインを出航し、カリブ海バハマ諸国の一島に到達し、最初に到達した新世界の地であり、彼はサルバドール島と命名した。その後、キューバ島やエスパニョーラ島などに寄港しました。
しかし、コロンブスは真珠を発見することはできませんでしたが、わずかの金製品と綿糸などを入手し、これらの地域がインディアス(コロンブスのいうインディアスとはインド亜大陸のインドというよりも、中国や日本などの極東を含む広義のアジアという意味)であると考えました。
コロンブスはジョアン二世に対して、西方ルートの企画を却下したのは、陛下の失敗だったと述べ、王は立腹をしたそうです。コロンブスの船隊はスペインに帰還して、大歓迎をうけたそうです。
(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)