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マルコポーロの真珠情報をご存知ですか?
13世紀のイスラーム圏はどうだった?
13世紀になると、イスラーム圏の拡大によりヨーロッパ人はオリエントから締め出されて久しかったのです。インド洋はイスラーム教徒、インド人、中国人の商船が行きかう海となり、ヨーロッパ人は、アラビア半島やインドの詳しい情報をもはやもたなくなりました。
マルコ・ポーロの東方見聞録がベストセラーとなる!
そうしたなか、マルコ・ポーロの「東方見聞録」が出版されました。13世紀末に出されたこの書物は彼の紀行文というよりも、オリエント世界ではどこにどのような特産品があるのかが記された情報本でした。たちまち当時のベストセラーとなりました。140以上もの古写本などがヨーロッパ各地の図書館に残っています。
3つの真珠の産地の地域とは!?
東方見聞録は真珠についても詳しい情報を語っています。オリエントの真珠の産地として3つ目の地域を挙げています。ひとつめは日本で、二つ目は中国です。現在の四川省ででこぼこした形の淡水真珠が採れることや、福建省の泉州には大粒の真珠や宝石、奢侈商品を積んだインドが次々と来航することが述べられています。3つ目は南インドとセイロン島です。
マルコ・ポーロは、南インドの真珠の王国パーンディヤ朝に立ち寄っています。パーンディヤ朝は1323年に滅亡するが、マルコ・ポーロが寄港したときはまだ命脈を保っていました。
真珠や宝石で飾るインドの装いは立派な都市の価値!
マルコ・ポーロは、商人たちが船を買い、潜水夫を雇い、セイロン島とインドの浅瀬の海で真珠採取を行っていること、王に10分の1税を払い、しおれが王の主要な収入になっていることなどなどが語られています。
王に装いは、主に腰婦を巻いていますが、その外観は驚嘆に値するもので、彼ひとりの価値は立派な都市ひとつの価値に相当すると感想があります。真珠や宝石で飾るインドの装いの文化は13世紀になっても変わっていませんでした。
マルコ・ポーロは、世界各地で見かける真珠と宝石は、大部分はインドの東南側とセイロン島の産出であると語っています。
丸くて美しい海の真珠の産地は、日本と南インドとセイロン島!
マルコ・ポーロは行きも帰りもアラビア湾の中継都市ホルムズなどをとおりながら、バハレーン島などの真珠採取については何も語っていません。ホルムズにはインドの真珠と宝石を積んだ船が到着するとだけ述べています。
この時期、アラビア湾の真珠採りがどうなっていたのか気になるところですね。
したがって、「東方見聞録」の情報によると、丸くて美しい海の真珠の産地は、日本と南インドとセイロン島だけなのです。
(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)