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上半身を真珠で着飾ったインド人!?
インド人は洗練された真珠文化を作った!
「実理論」では、インドの真珠についていろいろなことを教えてくれます。
本籍のなかで真珠が最初に説明されており、真珠がもっとも重要な宝石だったことを示唆しています。一方、川や湖水の真珠、欠陥真珠もかなり使われていたことがわかります。
真珠の宝飾品の名前は数によって異常に細かく定義されています。宝石長官は覚えるのが大変だったと思われます。ですが、こうした名称の細分化は古代インド人が洗練された真珠文化をはぐくんでいた証拠といえるでしょう。語彙の多さはその文化の成熟度を示すものだと思われます。
裸の上半身を真珠や宝石で飾った大胆に美しいインド人!
実は、、インド人の人々は、裸の上半身を真珠や宝石で飾るという世界に例のない装いの文化を生み出した人たちでした。インドは熱帯のため、腰布さえ巻けば、上衣がなくても十分暮らしていくことがでっきました。しかも、真珠や宝石や金が潤沢な土地だったのです。ですので、古代インドでは、真珠や宝石を服代わりにする装いの文化が生まれたのですね。そうした文化の一旦をアジャンターの壁画などに見ることができるのです。
アレクサンドロス大王の東征と東西交流で、ヨーロッパ人がオリエントの真珠を知った!
このように古代オリエントでは、真珠の産地ならではの真珠文化が花咲いていました。紀元前330年代のアレクサンドロス大王の東征とその後の東西交流で、このオリエントの真珠についてのことをヨーロッパ人が知るきっかけになったのです。
アレクサンドロス大王は莫大な真珠を手に入れた?!
アレクサンドロスは、前331年にペルシア帝国の都スーサやペルセポリスを攻略して、莫大な金銀財宝を手に入れました。大量の真珠も手に入れたと思われますが、当時の文献に真珠のことはでてきません。しかし、アレクサンドロスがインダス河口で組織し、アラビア湾の湾奥まで渡航した大艦隊の乗組員のひとりだったアンドロステネスが真珠について報告しています。
アンドロテネスが真珠の価値を述べている!
アンドロテネスは、この海には真珠ができる貝があり、ホタテ貝とよく似ている、真珠はアジアでは高価で、金の重さとの換算で売られている、真珠は金色と純白のものがあり、純白のものは魚の眼に似ていると述べています。
古代ギリシアの哲学者のテオフラストスが述べたアコヤ真珠のこととは!
古代ギリシア人は真珠を故郷にもたらした。哲学者のテオフラストスは、「石について」という書物のなかで、次のように語っています。
貴重な石のひとつに、マルガリテスと呼ばれるものがあります。これは本来透明で、効果なネックレスがこれから作られる・・・大きさは、大き目の魚の眼くらいである・・・それらは事実上、類を見ない素晴らしい石である。
テオフラストスは、美しく、透き通った感じのアコヤ真珠を見たのでしょう。魚の眼という表現はここでも登場します。当時、テオフラトスは、アリストテレスの後継者として活躍し、ギリシアにおける知の最高権威となっていました。そうした人物が、アコヤ真珠を「素晴らしい石」と述べ、高い評価を与えたのでした。
(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)