column
高位の人の象徴、そして池の神を祭る真珠!
奈良時代に真珠(パール)が多くなったのですよ。
奈良時代になると真珠(パール)の出土品は急に多くなります。実は奈良時代というのは、当時の真珠(パール)が大量に残されているのですよ。
その数4158個の真珠!
真珠(パール)の宝庫となっているのが、正倉院宝物です。真珠(パール)の数4158個。そのうち3830個が聖武天皇の礼服や冠の一部分がビーズをつないだような形で残っています。中央に真珠(パール)をはめこんだ、花弁模様をあしらった帯や履物、小刀などもあります。
4158個の真珠(パール)のほとんどは、アコヤ真珠(パール)で、7個の比較的大きなアワビ真珠とアワビ真珠と推測される10数個の真珠がありました。アコヤ真珠の大きさは3.5ミリが多く、大きくて4ミリでした。
聖武天皇がご使用になられていた高級なものでさえ、大きくて4ミリほどだったのですね!
奈良時代、真珠(パール)は天皇の衣冠束帯に欠かせない物品でした。平安時代の「延喜式」によれば、元日の朝賀や即位の儀式に参列する親王や高位のものの冠には真珠(パール)の使用が求められていました。真珠(パール)は位の高い人々の象徴の品だったのです。
高位の人々の象徴であった真珠、私たちでも身に着けられることができるようになりましたね。身に着けるとなんとなく高位な気分になるのが分かるきがします。
真珠(パール)は地の神を祭るためにも使われました。その興味深い話が「日本書記」に記されています。
天皇の在位14年目、淡路島で狩りをしたことがあります。島には、大鹿、猿、猪がたくさんいたのに、獲物が一匹も取れませんでした。占いで、「明石の海の底に真珠がある。その珠を我にまつれば、獣をえるだろう」と言われました。
海人が命と引き換えに真珠をとったのです!
そこで、多くの海人が潜りましたが、海は深く、底まで到達できなかったとのこと。しかし、阿波の国の男狭磯という海人が腰に縄をつけて海のそこまで潜り、大鮑を抱いて浮かび上がりました。でも、そのまま死んでしまったそうです。縄を外して、その深さを測ると、90メートルあったそうですよ!そして腹を裂くと真珠が出てきたそうです。
真珠は池の神にささげる宝だったのです!
寺院を建立するさい、土地を清め、池の神を祭るために寺院に宝物が埋葬されていました。そうした宝物をのことを鎮壇具(ちんたぐ)といいます。鎮壇具としての真珠(パール)は、東大寺や興福寺からも発見されています!
その真珠は、東大寺ミュージアムや興福寺国宝館でみることができますよ!
東大寺総合文化センターへのアクセス
興福寺へのアクセス
東大寺の鎮壇具の真珠は調査されていませんが、正倉院と同じアコヤ真珠だと考えられています。
そして、興福寺の真珠は淡水真珠とされているそうです。
(参考文献: 真珠の世界史 中公新書)