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真珠(パール)は七宝のひとつだった!
中国人はなぜ真珠を尊んだのでしょう。
海に産するたまは「珠」、山に産するたまは「玉」
中国では水中に産するたまは「珠」と呼ばれ、山に参するたまは「玉」と呼ばれたそうです。珠玉とは海の珠と山の玉。
すなわち、真珠と宝石なのです!
「三国志」「魏志后妃伝」には、「金銀・珠玉・宝物」という表現があり、金銀、玉、宝物と並ぶ貴重なものだということがわかります。
三世紀の中国では、インドで生まれた、仏教経典が次々と翻訳されていたそうですね。
そうした経典のひとつである「法華経」では、真珠は金、銀、瑠璃、琥珀、瑪瑙、推奨とともに七宝に数えられていました。「観無量寿経」でも七宝のひとつにあげられています。
仏教文化では、真珠(パール)は最高の宝石のひとつだったのですよ。
中国では、亡くなった人にも副葬していた!
当時、中国人は死者の口に真珠などの珠玉を含ませる「飯含」という風習をもっていました。死者の遺体に「侏儒」という圭をちりばめた短衣を着せ、「玉匣」と呼ばれる珠玉を入れた宝石箱を副葬したそうですね。玉匣は玉手箱のことです。
華美な埋葬は禁止されていた!だけど・・
「三国志」「魏志文帝紀」には、魏の文帝が「飯含するに珠玉を以ってなすことなかれ。珠襦、玉匣を施すことmなかれ。それらは諸の愚かな俗人がすることなり」と述べ、華美な埋葬を禁止したことがしるされています。
しかし、それほど多く効果がなかったようである。というのは、1911年辛亥革命の混乱で中国の多くの墓が荒らされましたが、墓には真珠(パール)が数多く埋葬されていたからなのです。
それらの真珠(パール)はヨーロッパにもたらされ、中国はちょっとした真珠(パール)の産地となったのです。
レオナルド・ローゼンタールという20世紀はじめの真珠(パール)ディーラーが語るお話なのでした。
(参考文献:真珠の世界史 中公新書)