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これが分かれば、話のネタになるかも!?真珠のネックレスのわかりやすい見方
富の象徴「真珠」
1900年代頃、ニューヨークの大富豪たちはダンスパーティーを繰り広げていました。
外出の機会も増え、そうした際に、富と権威の象徴となったのが真珠のネックレスでした。ダイヤモンドも高価な宝石でしたが、どちらかといえば正装用や夜会用の宝石として使用されていました。昼間であろうと、格式張らない外出先であろうと気軽に着用できるのが真珠のネックレスでした。
真珠はアメリカのブルジョワにとって「屋敷や馬車や自動車と同じようになくてはならないもの」であったそうです。
そんな大富豪たちの必需品である「真珠」
今回は真珠のネックレスのわかりやすい見方をご紹介します。
これを知ったら、きっと誰かに話したくなるかも・・・
一目でわかる!真珠のネックレスの見方
真珠のネックレスには「グラデュエーションタイプ」と「ユニフォームタイプ」の二つがあります。
グラデュエーションタイプのネックレスは中央部に大粒真珠を置き、左右の真珠が次第に小さくなっていくものを指します。アコヤ真珠のネックレスだと中央に6.5ミリや7ミリの大玉が使われ、後ろになると3ミリ、2ミリ、1ミリ、あるいは1.5ミリのダイヤが使われました。
天然真珠時代には、このグラデュエーションタイプが一般的であったそうです。
一方、ユニフォームタイプは、ほぼ同じ大きさの真珠で組んだネックレスのことを指します。
20世紀はじめのころ、真珠のネックレスは「真珠のロープ」(ロープ・オブ・パールズ)とか「真珠の紐」(ストリング・オブ・パールズ)と呼ばれていましたが、これらは、ユニフォームタイプに近い形で作られていたそうです。
さきほど出てきたニューヨークの大富豪たちの時代、グラデュエーションタイプにせよ、ユニフォームタイプにせよ、真珠のネックレスは粒や色を揃えるため、数年または十数年かけて作られていました。値段は極めて高く、ティファニー製の真珠のロープでは平均7ミリの真珠187個を使ったものが8万5000ドルであったそうです。
1910年代、真珠のネックレスはどんどん長くなり、真珠の値段も急速に上がっていきました。
そういった高価な真珠を身に着け町を歩くことは当時の人々の憧れであり、長く美しい真珠のネックレスを持つことは当時の人々の夢のまた夢であったそうです。
(参照文献:真珠の世界史 富と野望の五千年/中公新書)