Category
コラム一覧

ベネズエラはアコヤ真珠の大産地だった!



2015.12.14



unnamed

Ginza WATATSUMI Christmas Pearl Fairのご案内中です!

★特典1

12.19(土)~12/25(金)

店内商品20%OFF(特選パール等一部商品除く)

★特典2

特別ご奉仕セット/セットでご購入で最大40%OFF

アコヤ本真珠の一連のネックレスとピアスのセット、250,000円相当が168,000円(数に限りがございます)

 

綿津見真珠銀座本店

東京都中央区銀座二丁目7番18号メルサGinza-2 2F

電話:03-5579-9311

営業時間:11:00~20:00

 

~ それでは、ベネズエラの真珠の発見についてご紹介いたしましょう~

 

ガマが二年もかけてインドに行っている間に、片道1ヵ月で到達できる西方ルートの「インディアス」ではついに真珠が発見されていました!

 

ついに真珠が姿を現せた瞬間!

 

1498年8月、コロンブスは第三回航海で南米大陸のベネズエラに到達し、そこの住民が美しい布で頭や腰を巻き、真珠や黄金のブレスレッドやネックレスで裸体を飾っていることをアッ兼しました。第一回航海でも第二回航海でも姿を見せなかった真珠がついに現れた瞬間だったのです。

ベネズエラに広がるインドを思わせる光景!

マルコ・ポーロの東方見聞録では、腰布を巻き、真珠や宝石、金製品で裸体を飾るインドの王のことが記されていました。ベネズエラ沿岸部ではまさにインドを思わせる光景が広がっていたのです。

真珠はインドか日本でしかとれないのだから、この地の真珠はインドに到達した何よりの証でした。コロンブスはこの光景を見てうれしくなりました。神に感謝をし、この地を恩寵の地と命名しました。

 

ベネズエラはアコヤ真珠の大産地だった!

 

このベネズエラこそが、大航海時代に発見されたアコヤ真珠の大産地だったのです。ベネズエラのカリブ海沖にはベネズエラアコヤガイが大量に生息し、透明感のある美しい真珠を生み出していました。

真珠で上半身を飾り、鼻輪やイヤリングも真珠だった!

ベネズエラの先住民はそうした真珠で作ったネックレスで裸の上半身を飾り、真珠のイヤリングや鼻輪などもつけていました。インド同様、温暖な真珠の産地が産み出した真珠で飾る装いの文化でした。

 

世界でこのコロンブスのベネズエラ到着は二つの意味をもつ!

 

ひとつはコロンブスが初めて新大陸に到着したことです。しかし、コロンブス自信は自分が新大陸に到着したことを認識していませんでした。この地が新大陸だと気づいたのは、1502~3年頃のアメリゴ・ヴェスプッチでした。

 

もうひとつは、ベネズエラはオリエントに代わる新たな真珠の産地だったことです。

 

(参考文献:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 





コロンブス第二回の航海で大量の真珠を発見?!



2015.12.12



キューバ島沖に大量に真珠発見!?中身は・・・

 

1493年9月、コロンブスは第二回の航海にしゅぱつしました。この航海でコロンブスとノリ組合員をほんの一瞬喜ばせる出来事が起こったそうです。キューバ島沖に、真珠貝と思われる大量の貝を発見したのです。

 

この航海に参加したミケーレ・デ・クネオが書いています。

 

この白い海で・・・・真珠貝を多く見つけました。これらの貝を見て、裕福になるとだれもが本気で思いました。我々は、たぶん、5、6隻にのぼる端艇がいっぱいになるほど貝を採り、すべての貝を開けましたが、真珠は一粒も出てきませんでした。とはいえ、食料にするには申し分ありません

(引用:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

カリブ海やキューバ島やバハマ諸島などは美しい海があるのになぜか真珠がとれない地域でした。彼らは、オイスターとパールオイスターを混同したのかもしれないとのことです。

インド西岸のカリカットに着いたのは、なんと11か月目!

 

その後、ジョアン二世の後を継ぎ、ポルトガルの新国王になったマヌエル1世は1497年7月、バスコ・ダ・ガマを司令官とする四隻の船隊を東方ルートで送り出しました。

 

ガマ船隊はアフリカ大陸を迂回して航行し、ついにインド西岸のカリカット(コジコーデ)に到着しました。ポルトガルを出てから11カ月目のことでした。カリカット王はヒンドゥー教徒でしたが、この王国では多くのイスラーム商人が貿易に従事していました。

 

ガマがカリカット王へ差し上げた献上品は嘲笑され落ち込む・・・

 

ガマはカリカット王への献上品として帯や頭巾、帽子、サンゴのネックレスなどを用意していましたが、王の家臣たちはそれらを貧相な品物だと嘲笑し、ガマも落ち込む始末でした。しかし、インドではクローブ、シナモン、コショウ、宝石などが思った以上に安く買えました。

インドで多くの宝石をもたらしたことをスペイン国王に報告したのですね!

 

マヌエル1世は、ガマ船隊の一隻が帰還すると、スペイン国王夫妻に手紙を書きました。ガマがインドを発見し、シナモン、クローブ、生姜。ナツメグ、その他、さまざまなスパイスや多くの宝石をもたらしたことを報告し、次のように述べています。

 

私は両陛下がこの報告に非常に喜び、満足されることと存じますので、この知らせをお送りすることをお喜びとするものであります。

(引用:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

西方ルートでスペインい出し抜かれたポルトガル王の溜飲が下がった瞬間だったのですね!

 

(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

 





美しい海の真珠が採れる地はインドと日本だった!



2015.12.11



インドと日本が美し真珠が採れるところだった!

 

マルコ・ポーロは「東方見聞録」のなかで、オリエントではインドと日本で美しい海の真珠が採れることを報告しています。これらの地域への到達は15世紀のヨーロッパ人の悲願でした。次の3つのルートあったのです。

 

  1. 1. エジプト・紅海・インド洋ルート
  2. 2. アフリカ大陸を迂回する東方ルート
  3. 3. 大西洋を突っ切る西方ルート

 

一番便利なのは、エジプト・紅海・インド洋ルートでした。このルートはイスラーム教徒に牛耳られていて利用できなかったのです。ですので、東方ルートか、西方ルートかの選択でした。東方ルートではポルトガルが先行しており、1488年にアフリカ南端の喜望峰まで達していました。

 

日本で真珠と黄金が得られるはずと信じたクリストファー・コロンブス!

 

一方西方ルートは、地球が丸いことを前提に大西洋を西に進むコースでした。東方の一番端にある日本に最初に到着しました。日本では真珠と黄金が得られるはずでした。当時の人々は西方ルートを無謀だと考えていましたが、スペインが支援するクリストファー・コロンブスはその可能性を信じていたそうです。

 

真珠の産地における狂騒が幕を開けた!

 

こうして西方ルートのスペインと東方ルートのポルトガルのオリエント到達競争が始まり、領国の激しいつばぜり合いが続くなか、真珠の産地における狂騒がはじまったのでした。

 

コロンブスの第一回航海

 

スペインとポルトガルのオリエント競争は、ポルトガルのジョアン二世がコロンブスの西方ルートの企画を却下したときから始まりました。失意のコロンブスは、ポルトガルを去り、スペインにわたりました。1492年グラナダのイスラーム王朝が滅亡すると、余裕が出たイサベル女王とフェルナンド国王がコロンブスの西方ルートを了承しました。

 

コロンブスの船隊はスペインを出航し、カリブ海バハマ諸国の一島に到達し、最初に到達した新世界の地であり、彼はサルバドール島と命名した。その後、キューバ島やエスパニョーラ島などに寄港しました。

 

しかし、コロンブスは真珠を発見することはできませんでしたが、わずかの金製品と綿糸などを入手し、これらの地域がインディアス(コロンブスのいうインディアスとはインド亜大陸のインドというよりも、中国や日本などの極東を含む広義のアジアという意味)であると考えました。

 

コロンブスはジョアン二世に対して、西方ルートの企画を却下したのは、陛下の失敗だったと述べ、王は立腹をしたそうです。コロンブスの船隊はスペインに帰還して、大歓迎をうけたそうです。

 

(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)





マルコポーロの真珠情報をご存知ですか?



2015.12.10



13世紀のイスラーム圏はどうだった?

 

13世紀になると、イスラーム圏の拡大によりヨーロッパ人はオリエントから締め出されて久しかったのです。インド洋はイスラーム教徒、インド人、中国人の商船が行きかう海となり、ヨーロッパ人は、アラビア半島やインドの詳しい情報をもはやもたなくなりました。

 

マルコ・ポーロの東方見聞録がベストセラーとなる!

 

そうしたなか、マルコ・ポーロの「東方見聞録」が出版されました。13世紀末に出されたこの書物は彼の紀行文というよりも、オリエント世界ではどこにどのような特産品があるのかが記された情報本でした。たちまち当時のベストセラーとなりました。140以上もの古写本などがヨーロッパ各地の図書館に残っています。

 

3つの真珠の産地の地域とは!?

 

東方見聞録は真珠についても詳しい情報を語っています。オリエントの真珠の産地として3つ目の地域を挙げています。ひとつめは日本で、二つ目は中国です。現在の四川省ででこぼこした形の淡水真珠が採れることや、福建省の泉州には大粒の真珠や宝石、奢侈商品を積んだインドが次々と来航することが述べられています。3つ目は南インドとセイロン島です。

 

マルコ・ポーロは、南インドの真珠の王国パーンディヤ朝に立ち寄っています。パーンディヤ朝は1323年に滅亡するが、マルコ・ポーロが寄港したときはまだ命脈を保っていました。

 

真珠や宝石で飾るインドの装いは立派な都市の価値!

 

マルコ・ポーロは、商人たちが船を買い、潜水夫を雇い、セイロン島とインドの浅瀬の海で真珠採取を行っていること、王に10分の1税を払い、しおれが王の主要な収入になっていることなどなどが語られています。

 

王に装いは、主に腰婦を巻いていますが、その外観は驚嘆に値するもので、彼ひとりの価値は立派な都市ひとつの価値に相当すると感想があります。真珠や宝石で飾るインドの装いの文化は13世紀になっても変わっていませんでした。

 

マルコ・ポーロは、世界各地で見かける真珠と宝石は、大部分はインドの東南側とセイロン島の産出であると語っています。

丸くて美しい海の真珠の産地は、日本と南インドとセイロン島!

 

マルコ・ポーロは行きも帰りもアラビア湾の中継都市ホルムズなどをとおりながら、バハレーン島などの真珠採取については何も語っていません。ホルムズにはインドの真珠と宝石を積んだ船が到着するとだけ述べています。

この時期、アラビア湾の真珠採りがどうなっていたのか気になるところですね。

 

したがって、「東方見聞録」の情報によると、丸くて美しい海の真珠の産地は、日本と南インドとセイロン島だけなのです。

 

(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

 





真珠はキリスト教とイスラーム社会で最高の宝石だった!



2015.12.8



真珠はキリスト教の最高の宝石!

 

313年、古代ローマ帝国はキリスト教を国教としました。以来、「聖書」はもっとも重要な書物となり、その「聖書」も真珠を最高の宝石とみなしていたそうです。

 

真珠は他の宝石を凌駕する最高の宝石!

 

「ヨハネの黙示録」によりますと、この世が終わるとき、イエスが再臨し、千年王国が誕生し、死者が復活し、最後の審判が行われる。その後、天から神の栄光に満ちた都が降りてくることになっています。ヨハネはキリスト教の黙示によってその光景を目撃し、次のように述べています。

 

都の城壁はジャスパー(赤壁玉)で気疲れ、都は透き通ったガラスのような純金だった。都の城壁の12の土台石はジャスパー、サファイア、エメラルド、トパーズ、トルコ石、アメシスト(紫水晶)など、12の宝石で飾られていた。都の12の門は12の真珠であって、どの門もそれぞれ1個の真珠でできていた。都は神の栄光に照らされており、「命の書」に名前が書かれたものだけが入ることができる。

(引用: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

この記述から、新しい神の都は純金、真珠、12種類の宝石で飾られていることがわかりますね。1個の真珠でできた門とはどのような門だったのでしょう。その門が12の宝石の土台の上に君臨していることが理解できます。真珠は他の宝石を凌駕する最高の宝石とみなされていたことが分かります。

 

真珠はイスラーム社会でも最高の宝石!

 

イスラーム社会でも真珠は最高の宝石でした。7世紀はじめに成立したイスラーム教の聖典「コーラン」には、三種類の宝石が登場します。真珠、サンゴ、ルビーです。真珠はもっとも多くて6回登場します。そのうち、2階が楽園にいる人が身を飾る「金や真珠の腕輪」などとして登場し、真珠は楽園とわかる唯一の宝石となっています。

 

日本で花といえば桜、アラビア語で宝石といえば真珠!

 

9世紀になると「宝石」を意味するアラビア語として、「ジャウハル」が使われるようになりました。「ジャウハル」には真珠という意味もあったのです。日本語で花といえば桜ですね。アラビア語では、宝石といえば真珠だったそうですよ。

 

真珠は宝石類のなかでもっとも貴重なもの!

 

10世紀はじめのイスラーム教徒のアブー・ザイド・アルハサンは「中国とインドの諸情報」という書物のなかで、真珠は価格が莫大となっていき、宝石類のなかでもっとも貴重なものとみなされるようになった、と述べています。

 

真珠は支配者に集まる仕組みとなっていた!

 

思わぬところで真珠が発見されたことがあるのですよ。アラビア半島の砂漠で死んでいたキツネの口からころころした真珠が見つかり、バグダードで7高く売れた話。塩漬けにしようとした魚の内臓にあった貝からでてきた真珠をカリフが莫大な値段で買ってくれた話などが有名です。

見事な真珠を大儲けするには、その真珠を現金化する必要があります。こうした逸話は、当時のイスラーム社会ではバグダードで売却できたり、カリフが買い上げてくれる換金システムが整っていたことを示しています。

 

真珠は支配者に集まる仕組みになっていたのですね。

 

(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 





インドとの真珠交易は苦労が絶えなかった!



2015.12.6



インドと宝石等の貿易にはコストがかかった!

 

1世紀になると、古代ローマ帝国の人々はインドと交易を行うようになりました。インドには真珠、コショウ、ダイヤモンド、透明石、サンゴ、鼈甲、錦織物など買いたいものがいろいろありました。しかし、ヨーロッパ人はインド人が喜ぶものをもっていなかったため、ローマの金貨や銀貨で支払う必要があったのです。インド貿易は意外とコストがかかったそうです。

 

厳しい監視下でのインド貿易は難しかった!

 

インドの諸王朝は中央集権国家だったため、商人は国家の厳しい監視下に置かれました。「実理論」の記述によりますと、航行中の船が領海に入ったら、さっそく関税が要求されたそうです。商人たちは何者で、どこから来たのかを記録され、旅券がなければ逮捕されたそうです。商品の量と価格は事前申告で、申告した価格より高く売れた場合はその差額が没収されました。そして出国の際にも税関を通り、承認が真珠や宝石などを牛糞やワラのなかに隠していることが露見すると、最高の罰金が科せられたそうです。

 

大商を達成しても、インドの居酒屋で祝杯は危険!

 

苦労の絶えないインド交易でしたが、それでもヨーロッパ人がローマ金貨を備えてはるばる向かうだけの甲斐はあったそうです。大商を達成し、祝杯をあげたくても、インドの居酒屋で飲むのはやめていたほうがよかったそうです。

「実理論」によりますと、インドには酒類長官がいて、香や花環や水を備えた快適な酒家を用意していましたが、そこにはスパイや美しい奴隷女たちが置かれていて、酔いつぶれた客の装身具や衣服、金銭を調べて、その正体を探っていました。不信な荷物があるときは、適当な口実をつけて逮捕するよう「実理論」では、命じているようです。

 

真珠は大変な努力をはらって買い求めるものだった!

2世紀のギリシア人アッリアノスは「インド誌」のなかで次のように述べています。

 

真珠は今日でもなお、インドからさまざまな商品をわれわれのところにもたらす者たちが、苦心して買い付けた末にやっともちだすもので、昔のギリシア人にせよ今日のローマ人にせよ、財産あり栄えている人びとがいずれも、いまだに大変な努力をはらって買い求める品・・・・「マルガリテス」(真珠)と呼ばれているものなのである。

 

(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)





上半身を真珠で着飾ったインド人!?



2015.12.5



インド人は洗練された真珠文化を作った!

 

「実理論」では、インドの真珠についていろいろなことを教えてくれます。

 

本籍のなかで真珠が最初に説明されており、真珠がもっとも重要な宝石だったことを示唆しています。一方、川や湖水の真珠、欠陥真珠もかなり使われていたことがわかります。

 

真珠の宝飾品の名前は数によって異常に細かく定義されています。宝石長官は覚えるのが大変だったと思われます。ですが、こうした名称の細分化は古代インド人が洗練された真珠文化をはぐくんでいた証拠といえるでしょう。語彙の多さはその文化の成熟度を示すものだと思われます。

 

裸の上半身を真珠や宝石で飾った大胆に美しいインド人!

 

実は、、インド人の人々は、裸の上半身を真珠や宝石で飾るという世界に例のない装いの文化を生み出した人たちでした。インドは熱帯のため、腰布さえ巻けば、上衣がなくても十分暮らしていくことがでっきました。しかも、真珠や宝石や金が潤沢な土地だったのです。ですので、古代インドでは、真珠や宝石を服代わりにする装いの文化が生まれたのですね。そうした文化の一旦をアジャンターの壁画などに見ることができるのです。

 

アレクサンドロス大王の東征と東西交流で、ヨーロッパ人がオリエントの真珠を知った!

 

このように古代オリエントでは、真珠の産地ならではの真珠文化が花咲いていました。紀元前330年代のアレクサンドロス大王の東征とその後の東西交流で、このオリエントの真珠についてのことをヨーロッパ人が知るきっかけになったのです。

 

アレクサンドロス大王は莫大な真珠を手に入れた?!

アレクサンドロスは、前331年にペルシア帝国の都スーサやペルセポリスを攻略して、莫大な金銀財宝を手に入れました。大量の真珠も手に入れたと思われますが、当時の文献に真珠のことはでてきません。しかし、アレクサンドロスがインダス河口で組織し、アラビア湾の湾奥まで渡航した大艦隊の乗組員のひとりだったアンドロステネスが真珠について報告しています。

 

アンドロテネスが真珠の価値を述べている!

 

アンドロテネスは、この海には真珠ができる貝があり、ホタテ貝とよく似ている、真珠はアジアでは高価で、金の重さとの換算で売られている、真珠は金色と純白のものがあり、純白のものは魚の眼に似ていると述べています。

 

古代ギリシアの哲学者のテオフラストスが述べたアコヤ真珠のこととは!

 

古代ギリシア人は真珠を故郷にもたらした。哲学者のテオフラストスは、「石について」という書物のなかで、次のように語っています。

 

貴重な石のひとつに、マルガリテスと呼ばれるものがあります。これは本来透明で、効果なネックレスがこれから作られる・・・大きさは、大き目の魚の眼くらいである・・・それらは事実上、類を見ない素晴らしい石である。

 

テオフラストスは、美しく、透き通った感じのアコヤ真珠を見たのでしょう。魚の眼という表現はここでも登場します。当時、テオフラトスは、アリストテレスの後継者として活躍し、ギリシアにおける知の最高権威となっていました。そうした人物が、アコヤ真珠を「素晴らしい石」と述べ、高い評価を与えたのでした。

 

(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

 

 





タヒチアンパール、アコヤとは違うその魅力



2015.12.4



タヒチはクロチョウ真珠の名産地。ただそこに至るまでには様々な想いとドラマが。タヒチアンパールには真珠の王様と呼ばれるアコヤ貝とは違う大きな魅力があります。クロチョウ貝に代表されるタヒチアンパールの輝きに触れてみたくなること間違いなし。ここではタヒチアンパールの魅力についてお伝えします。

 

15タヒチアンパール、アコヤとは違うその魅力

豊富なカラーバリエーション

タヒチアンパールは豊富なカラーバリエーションが大きな魅力です。クロチョウ真珠と言えば黒真珠というイメージが定着しているかと思われますが、実際には黒真珠だけではなく、ピーコックグリーン、ブルーブラック、チェリー、ピスタチオ色などの様々なカラーの真珠が生成されます。真珠のカラーは個性やファッション性を表現するために大きな力を発揮します。

 

養殖技術による発展

タヒチアンパールのカラーバリエーションは豊富にありますが、それは養殖真珠に限られます。タヒチの天然のクロチョウ貝からそのようなカラーの真珠は見られず、日本人がタヒチの真珠養殖に力を貸したことで生まれた産物。日本の真珠養殖がタヒチアンパールを生み出したといっても過言ではないでしょう。真珠貝にはそれぞれ異なる魅力があります。多種多様な真珠の中からお気に入りのものを探してみてください。

 

クロチョウ貝の魅力とは?

クロチョウ貝の魅力は真珠粒の大きさ、カラーバリエーション、そして真珠養殖に適しているという点です。アコヤ貝は小さめな粒の白色真珠が基本となりますが、クロチョウ貝は粒の大きな真珠やドロップ型の真珠、そして個性豊かなカラーの真珠を生み出します。真珠は高価なものというステータスになりますが、それ以上にファッションのとしての役割を担っています。素敵なファッション性を演出するには個性やアクセントが必要不可欠。そのためにタヒチアンパールを利用してみてはいかがでしょうか。

ゴールデンパール
シロチョウ真珠
クロチョウ真珠

 

 

参照

真珠の世界史 富と野望の五千年(山田篤美著/中央公論新社)

 





ペルシア王国とインドは真珠の王国だった!



2015.12.4



真珠への愛好は古代メソポタミアの歴代の王朝へ引き継がれる

シュメル文明が滅亡した後も、真珠に対する愛好家は古代メソポタミアの歴代の王朝に引き継がれていきました。アッシリア帝国や新バビロニアの遺跡などからも、真珠がついた金製イヤリングやまとまた数の真珠などが出土しています。

 

メソポタミア時代の真珠が200個以上発見されている!

前6世紀になるとアケメネス朝ペルシアがメソポタミアの覇者となったのです。彼らの都はペルセポリスでしたが、イラン南西部のスーサも重要な都市でした。このスーサから前350年頃の真珠のネックレスが発見されています。女性の遺骨が納められた棺から出土したもので、三連タイプのネックレスでした。発見時にはかなりの粉状態でしたが、今でもかなりの200個以上の真珠が残っているそうです。

 

メソポタミアの人々は早くから真珠で身を着飾っていた

 

発見されたネックレスには、5ミリのディスク模様の黄金製飾りも使われておりました。これと比較すると真珠の大きさは3~5ミリくらいで、真珠はアコヤ真珠であったと思われています。古代メソポタミアの人々は、アラビア湾の真珠の産地に近いことから、真珠のネックレスやイヤリングにて身を飾ることを早くから育んでいたのですね。

 

オリエントのもうひとつの真珠の産地、南インドについてご紹介します。

 

千七百年もインドの真珠の産地を支配したパーンディア朝

 

南インドの東南側には、真珠の王国と呼ぶにふさわしいパーンディヤ朝が栄えていました。前四世紀から14世紀まで存続していたそうです。途中、国連が衰退した時期もありましたが、千七百年にわたって、インドの真珠の産地を支配したタミル人の王国でした。

 

マナール湾に生息する、白く美しいアコヤ貝

真珠の産地はマンナール湾で、この海にはインドアコヤガイが生息し、白くて美しい真珠を生み出していたそうです。海は深くありませでしたが、サメなどの大魚が多い危険な海でした。

 

1世紀のギリシャ語文献によると、インド最南端から東南部にかけてパーンディア王が所有する真珠採取場があり、罪人たちがその仕事にあたっていたそうです。インドの真珠採取では潜水夫が大魚に襲われることがよくあることから、罪人が使役されていたのかもしれないそうです。

 

真珠はパーンディア朝の莫大な収入源だった!

 

一般に古代インドの諸王朝は、真珠や宝石は王に献上されるべきものとして、輸出禁止品にされていることが多かったのですが、パーンディア朝あみずから真珠採取場を経営し、真珠を王国の輸出品にしていました。真珠はパーンディア朝の莫大な収入源だったのです。

 

タミル人の王国から贅沢品がインド各地にもたらされていたのです

 

南インドの西南側にはコショウを特産品とするタミル人の王国、チューラ朝があります。その貿易港はムージリスだったのです。ムージリスやネルキュンダの港にはコショウ、真珠、透明石、鼈甲、サンゴ、綿織物などの贅沢品があり、ここからインド各地にもたらされていました。

 

(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)





グラデーションタイプとユニフォームタイプ、真珠のネックレスにある2つのタイプを知ろう!!



2015.12.4



真珠のネックレスには様々なタイプのものがあります。中でもグラデーションタイプとユニフォームタイプは真珠ネックレスの基本的なものとなるのでしっかりと押さえておかなければならないポイント。また真珠ネックレスを使い分ける上でも大事になります。ここではグラデーションタイプとユニフォームタイプの真珠のネックレスについてお伝えします。

 14グラデーションタイプとユニフォームタイプ、真珠のネックレスにある2つのタイプを知ろう!!

 

グラデーションタイプとは

グラデーションタイプの真珠ネックレスは胸元の部分に大きな粒の真珠をあしらい、襟元に近づくにつれて真珠の粒が小さくなっていくタイプのものです。一般的にはアコヤ真珠よりもクロチョウ真珠やシロチョウ真珠、淡水真珠などで作られるものが多く、ネックレスの長さは様々。真珠のサイズについては明記されているのでチェックしてください。

 

ユニフォームタイプとは

ユニフォームタイプはフォーマルな場にも利用できるほぼ同サイズの真珠で作られた標準的なタイプの真珠ネックレスです。一般的にはアコヤ真珠で作られたものが多く、最も基本的な真珠のネックレスと言えるでしょう。冠婚葬祭やビジネスシーンにおいても利用できるので、確実にひとつは持っておきたい真珠アイテム。こちらもグラデーションタイプのものと同様に真珠のサイズについては明記されているのでチェックしてください。

 

真珠ネックレスの使い分けについて

真珠のネックレスのタイプによって利用に適したシーンは異なります。例えば粒の大きな真珠ネックレスは派手さが強いので、ユニフォームタイプであっても粛々とした場や招かれた席には適切でない可能性があります。また年齢に応じて粒の大きさに配慮することも大切です。場に応じた真珠ネックレス選びができるよう複数のタイプのものを所持しておくことをおすすめします。

真珠(パール)のネックレスはこちら

 

参照

真珠の世界史 富と野望の五千年(山田篤美著/中央公論新社)

 







 

プライバシーポリシー|会社概要運営会社特定商取引簡体繁体


コンセプト
代表挨拶
ブログ
国産真珠 J Pearl
愛媛:宇和島
長崎:壱岐・対馬・平戸
三重:志摩半島

joyau de la mer
オーダーの流れ
アフターケア
アコヤ本真珠
白蝶真珠
黒蝶真珠
南洋ゴールデンパール
FAQ
真珠のジュエリー
- ネックレス
- ピアス・イヤリング
- リング
- ブローチ
真珠について
真珠の用語集
真珠の種類
真珠の利用
真珠のグレード
贈答品としての真珠
真珠のコラム
銀座綿津見本店
アクセス
ご予約
会社概要
運営会社
プライバシーポリシー
特定商取引
簡体
繁体