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コラム一覧

ザビエルの日本上陸!



2015.12.25



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日本でもイエズス会は真珠の産地を拠点にした!

 

1949年8月、ザビエルはアンジローという日本人やコスメ・デ・トーレスト共に鹿児島に上陸しました。平戸、山口、京都などに行った後、1551年に離日しました。後を託されたトーレスは、長崎県西彼杵島の横瀬浦に拠点を置きました。彼杵は「肥前国風土記」にも歌われた真珠の備わった土地であり、真珠の大産地の木村湾を擁していました。つまり、日本でもイエズス会が拠点にしたのは、真珠の産地だったのです。これは意図的だったのか、それとも偶然だったのでしょうか。少々気になることですね。

 

狙われた日本の真珠(パール)産地は、幸いヨーロッパ人が忘れることとなった!

 

スペインとポルトガルの激しいオリエント到達競争で、当初の目的だった日本の真珠の産地に到達したのはポルトガルだったのです。しかし、日本では豊臣秀吉が1587年にパテレン追放令を公布します。江戸時代になると、鎖国が始まりました。ありがたいことに、日本の真珠の産地はヨーロッパ人から忘れられることになりました。

 

真珠産地を支配したヨーロッパでは、その真珠をどのように使用していたのでしょう?

 

大航海時代、ヨーロッパ人は新世界の真珠と旧世界の真珠を支配するようになりました。ベネズエラやパナマの真珠はセビージャに送られ、バハレーン島、インド、セイロン島の真珠はリスボンに送られました。こうした真珠はヨーロッパではどのように使用されえていたのでしょう・・・・

 

エリザベス一世のアルマダ・ポートレートを見ていきましょう

 

アルマダ・ポートレートは1588年にイギリス艦隊がアルマダと呼ばれたスペインの、無敵艦隊を撃破したことを記念して描かれたもので、三つの作品が知られています。ジョージ・ガワーという画家が1588-89年頃に描いたものです。

エリザベス女王の斬新で奇抜な真珠(パール)の着こなしとは!?

 

エリザベス女王は、大粒のドロップ型真珠を並べるように髪に飾り、首を絞めるようにラフ(レースの襟)をつけ、その下に六連の大粒真珠のネックレスを着けています。真珠といえば品よく美しいものですが、使い方次第では、奇抜ないでたちになることも示していますね。当時、大量の真珠がヨーロッパに入ったことを示しています。

女王の身に着けていたものはパマナクロチョウ真珠だったのか!?

 

ドロップ型真珠や大粒真珠は、カラーで見ると、灰色や鉛色で描かれています。おそらくパナマチョウ黒蝶(クロチョウ)真珠だったのでしょう。実際、女王の右手は、地球儀のパナマ地峡あたりに置かれていました。その地域こそが大粒で灰色の真珠の産地であり、ポトシの銀がはこばれてくるところでした。肖像画はその地をほのめかしているとも思われています。

史上もっとも真珠(パール)が好きだったエリザベス女王!

 

当時に人も目を見張ったようです。ドン・ビルヒニオ・オルシーニというイタリア貴族は、女王はすべて白で装い、過剰なほどの真珠を身に着け、刺繍をほどこし、ダイヤモンドもつけていましたが、どうしてそれだけたくさんつけていられるのかびっくりしたと述べているそうです。

 

史上もっとも真珠が好きだった人物のひとりと見なされています。

 

(参考文献:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

銀座WATATSUMIの黒蝶真珠についてはこちらにご紹介しております

 





ポルトガルが支配したマンナール湾での真珠採取の事実とは!?



2015.12.24



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遂にマンナール湾を支配したポルトガル!

 

ポルトガルはセイロン島の支配も進めていました。セイロンの名高いシナモンを得るため、1517年に島の南西部のコロンボに商館を置き、1560年には島北西部にあるマンナール島を奪いとりました。セイロン島とインドの間のマンナール湾はポルトガルが支配する海となりました。

 

命を懸けて真珠採取をした漁水夫、そして亡き夫、父親を慕い求める妻や子供たち!

 

1596年に「東方案内記」を出版したオランダ人のリンスホーテンによると、ポルトガル王国は、夏の真珠採りの時期には、この地に指揮官と兵士を駐留させて、3,4千名を超える潜水夫を監督させていました。リンスホーテンは語っています。

 

カボ・デ・コリーンのあたりでは、毎年きまって大勢の潜水夫が溺死したり鮫に食われたりする。それゆえ、漁期がおわるころともなれば、あちこちから亡き夫、父親を慕い求める妻や子供たちのむせび泣き、叫び声が聞こえて哀れを覚える。こうして来る年来る年同じ参事が繰り返されるのだ。

漁水夫が手にできる真珠は最後のひと残りだったとは・・・

 

さらにリンスホーテンは潜水夫が集めた真珠貝からその日のうちに大小の真珠がとりだされるおと、それらの真珠の最初の一山は、国王、次の一山は指揮官と兵士ら、その次はイエズス会修道士ら、そして残りは漁水夫らに、厳重な監視と公正の下に分配されると述べ、つぎのように続けています。

 

イエズス会修道士に分配されるのは、かれらは統治で僧院を経営し、初めてこの地の人々をキリスト今日の進行にみちびいた功績によるものである。

 

ザビエルたちの布教活動は、真珠からの収益で報われていた!

 

ザビエルたちの漁夫海岸での布教は、真珠からの収益できちんとむくわれていたのです。

 

(参考文献:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

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フランシスコ・ザビエルの布教活動と真珠の関わりとは!?



2015.12.22



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南インドの真珠採りの民

 

ポルトガルはアラビア真珠を掌握した後、南インド東南側の産地にも目を向けました。

かつてこの地は、真珠の王国として名高いタミル民族のパーンディヤ朝が千七百年にわたって君臨していました。パーンディヤ朝は1323年に滅亡しますが、これまでパーンディヤ王の庇護の下にあった真珠採りを専門とする海の民の存在が明らかになりました。彼らはタミル人のカースト集団でした。15世紀はじめになると、この真珠採りの民を支配下に置こうと、ヒンドゥー教徒の諸王やイスラーム教徒たちが侵略を繰り返していました。ちょうどそのころ現れたのがポルトガル人でした。

フランシスコ・ザビエルがインドに派遣される!

 

ポルトガル人はこの真珠採りの民をパラワス人(パラパス人)と呼び、パラワス人が暮らす南インド東南側の海岸を漁夫海岸と呼んでいました。1520年になるとポルトガル人長官がこの漁夫海岸を支配するようになったのです。パラワス人の集団改宗も実施し、彼らから真珠採取税を取るようになりました。しかし、規律が乱れはじめ、パラワス人を再び信仰に導く必要がありました。そこで、インドに派遣されたのが、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルだったのです。

 

フランシスコ・ザビエルは精力的な布教活動!

 

1542年5月、ザビエルはインドのゴアに到着し、コモリン岬からトゥティコリンにいたる漁夫海岸で布教活動に乗り出しました。ザビエルは、一日で村中すべての漁夫に洗礼を授けることもあれば、一カ月で1万人の漁夫を改宗させたこともありました。そして、タミル語に訳した福音を暗記しており、キリスト教の祈りの仕方や教理をパラワス人に教えていきました。

ザビエルのもうひとつの任務とは!?

 

また、信者になったパラワス人にきちんと真珠採りをさせることもザビエルの大切な任務でした。助手にあてた手紙では、不従順者は真珠採りに参加させないように指示を出し、別の手紙では、夫が真珠漁で不在のとき、ヤシ酒を飲む女を見つけたら、罰金を払わせ、三日間拘留するようにと命じています。真珠漁から戻ってきた男に病人がいれば、福音書を読み、深い愛情で接するようにと語る手紙もありました。

ザビエルはマンナール島での布教活動で挫折する!

 

しかし、ザビエルはマンナール島で、約1000人のパラワス人をカトリック教へ改宗させましたが、セイロン島のジャフナ王の巻き返しでうまくいかず、挫折感を味わいます。

ザビエルの布教活動は日本にとっても重要であった!

ザビエルの漁夫海岸での布教活動は、日本ではそれほど関心を集めませんでしたが、次のふたつの点で重要なことがります。

 

ひとつは、ザビエルの布教活動は真珠の産地のキリスト教化ということです。ザビエルが活動した漁夫海岸は旧パーンディヤ朝の版図であり、紀元一世紀のエリュトゥラー海案内記では材にが真珠採取を行っていると記された地域でした。イエズス会の布教は、カトリック教徒の潜水夫を作り出すという目的ももっていました。1552年ごろは南インドの漁夫海岸と西南側の海岸で五万人程度のカトリック信者がいたと考えられています。

 

もうひとつの重要性は、真珠採りを専門とする民の存在を明らかにしたことでした。実はアラビア湾にもバヌー・サッファーと呼ばれるアラブ系の真珠採り集団が存在しており、14世紀のイブン・バットゥータが彼の旅行記の中で言及しています。こうした真珠採りの民族集団については、研究がまだ十分進んでいませんが、日本の海人との比較からも興味深いように思われます。

 

(参考文献:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

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金色のアコヤ真珠!?



2015.12.21



アコヤ真珠って何色?

と尋ねると、ほとんどの方がほんのりと赤みがかった白を連想されるのではないでしょうか。

 

実はアコヤ真珠にも様々な色味があることをご存知でしょうか。

 

 

アコヤ真珠の色味は、真珠が生成される段階の様々な要因をもとに出来上がっていきますが、母貝の性質や貝の中のちょっとした混入物などによって、生成りの木綿のようにやわらかい乳白色のもの、うっすらと青みがかかった白色のものなど、複雑な色味をもつ一粒、一粒の真珠が生まれていきます。

 

真珠の養殖事業者やメーカーは、色味や大きさ、傷などを見ながらこれらを選別し、似たようなクオリティのものに揃えていきます。

 

ある程度クオリティが揃えられた真珠に、エンハンスメントと呼ばれる真珠本来の美しさを引き出す為の加工処理を施したものが一般に我々が目にする真珠です。

 

真珠の色味やエンハンスメントについてはまた改めて詳しくご紹介するとして、本日ご紹介するのはゴールド系のアコヤ真珠です。

 

たしかに白系が多いアコヤ真珠ではありますが、稀に金に近い色合いの珠が生まれることもあります。それらを選りすぐったものが本日ご紹介しているものです。

 

写真ではなかなか伝わりにくいかもしれませんが、ほんのりと上品な輝きの金色、といったところでしょうか。白系のものと比べるとなんとなくわかるでしょうか?

 

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アコヤ真珠=白というイメージが強く、実際の市場でも白系のものが圧倒的に人気があったためにこの手の色味の真珠は、かつてはあまり値のつかないものとして取引されていましたが、最近ではその個性が見直されつつあり、かえって希少ものとして、一部のファンから人気を博しています。

 

銀座WATATSUMIでは、真珠の愉しみ方を知っていただくためのひとつとして、こういった珍しい色合いや種類の真珠もお取り扱いしています。

 

真珠にご興味をお持ちのお客様は、是非一度遊びにいらしてください。お客様と様々な真珠談義をできればと思っています。

 





遂に、ポルトガル人がインド洋交易の中心地、アラビア湾の真珠採取を得た!



2015.12.21



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真珠と馬がインド洋交易の切り札だった!?

 

アラビ湾のアコヤ真珠、クロチョウ真珠、アラビアとペリシアの馬がインドに運ばれ、インドのコショウ、クローブ、生姜、カルダモンなどがアラビア方面に向かうのです。

真珠と馬が、インドのスパイスと交換できる重要な交易品であるようでした。

灼熱のインドの地では馬は長生きできないので、インドは早くから馬の輸入国、消費国となっていました。真珠についても、アコヤ真珠の産地は南インドに限られていましたので、他のインドの王朝は真珠にあこがれを抱いていました。インドでは採れない大粒クロチョウ真珠も人気がありました。

宝石が集まる交易の一大拠点、ホルムズ王国のこと

 

14世紀になるとアラビア湾の真珠採りは活況を呈するようになりました。アラビア湾の入り口にあるホルムズ島は、真珠をはじめ、アラビアやペルシアの馬、インドのスパイスや綿織物など、あらゆるオリエントの財宝が集まる交易の一大拠点でした。島は、イスラム教徒のホルムズ王国が支配していました。島は、イスラム教徒のホルムズ王国が支配していました。世界がひとつの指輪だとしたら、ホルムズは指輪にはめこまれた宝石だといわれていたのです。

 

ポルトガルとホルムズの衝突は地獄さながらの光景だった!

1507年ポルトガル人司令官が率いる船隊がホルムズ沖に姿を現しました。そしてホルムズ市内に砲撃したのです。その後、ホルムズの人々にポルトガル王の臣下となるよう要求しました。ホルムズ側が拒否すると、翌朝から激しい激戦となりました。

ポルトガルとホルムズの船隊の衝突は地獄さながらの光景でした。ホルムズ勢は120以上の船で防戦しましたが、多くの船が沈没させられました。ホルムズの人々は、服従は死に等しいが、回復の手段があるという理由で、ポルトガルに降伏したのです。

ついに、ポルトガルはアラビアの真珠を掌握した!

 

その後、ホルムズは反旗を翻しましたが、1515年に再び服従されました。ホルムズはポルトガル人長官に統治され、バハレーン島にはポルトガル人の商務官が派遣されていました。そしてアラビア湾でとれる真珠を徴収しました。真珠採取自体はアラビア人やペルシア人の船主が行っていましたが、ポルトガルはアラビアの真珠をついに掌握したのです。

ポルトガルがホルムズを狙ったのはこの島がインド洋交易の中心地で、他勢的に重要だったからです。この地が真珠の集散地だったことをわすれてはならないでしょう。

 

(参考文献:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

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パナマの黒蝶真珠の発見、そしてポルトガル人のインド交易の開始の事実!



2015.12.20



大粒真珠(パール)の産地パナマの発見!

 

中南米ではパナマクロチョウガイの大粒真珠も知られるようになりました。

スペイン人はコロンビアからパナマ地峡を越えて、ついに太平洋を発見しましたが、太平洋こそがパナマクロチョウガイという大型真珠貝の生息地でした。この貝は灰色の大粒真珠やドロップ型真珠を生み出しましたが、白色の真珠を作るときもありました。これまでクロチョウ真珠の産地といえば、アラビア湾と紅海でしたが、パナマという大粒真珠の産地も加わることになりました。

 

南米の富となったパナマとベネズエラの真珠!

 

パナマの先住民たちは長い年月をかけて集めた真珠の籠をいくつももっていました。しかし、スペイン人がこの地に到達すると、彼らの真珠は徹底的に略奪されたのです。そして、パナマの太平洋側でも先住民を使役する真珠採取が行われるようになりました。

 

歴史で南米の富といえば、インカの金銀財宝とポトシの銀が有名でしょう。しかし、インカ帝国の発見は1532年で、ポトシ銀山の発見は1545年です。それ以前の南米の富となったのはコロンビアの金とともにパナマとベネズエラの真珠だったのです。

 

ポルトガル人がインド洋交易を得た難航とは!?

東方ルートのインド航海はたしかに富をもたらした。しかし、そう簡単な航海ではありませんでした。往復で1年半から2年かかり、壊血病で死者は続出しました。寄港する港には敵が多かったのです。持参した商品はケチをつけられて、買いたたかれてました。インドの商人たちが欲しがる黄金もポルトガル人はそれほどもっていませんでした。

 

インドのスパイスや財宝を得るもっとも有効な方法は、武力を使うことだったのです。1502年、インド洋に再び到着したガマの船隊は、乗客300人の大型船を追撃しました。船に火を放ち、数名の子供を除き、乗客全員を殺害したのです。カリカット王との交渉が難航すると、その住民32人を殺害します。その死者をカリカット王に送り付けるなどした後、ガマはインド西南側のカナノール王国の王などから南館を開設する許可を得ました。

 

こうして、インドに地歩を得たポルトガル人はインド人、アラブ人、ペルシア人商人たちが行うインド洋交易を観察するようになりました。

 

(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

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0.03%の奇跡。最高品質の真珠、特選真珠。



2015.12.19



 

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「あの、花珠真珠が、な、なんと、29,800円!!!!」

 

パールが気になる方だったら、テレビショッピングなどで一度はこんなフレーズを耳にしたことがあるのでなないだろうか。

 

「へえ、花珠なのに、そんなにお安くできるの!?」

「企業努力に、努力を重ねて、、、、お客様のために、、、」

 

この話は、事実であるとも言えるしそうでないとも言えます。

 

この「花珠」という言葉、真珠産業の中で古くから使用されている言葉で、もともと、漁師が真珠の浜揚げし品質ごとに分類する際に、ハナ(端)・ドウ(胴)・スソ(裾)・ドクズ(屑)という言葉を使っており、そのトップのハナ(端)から端珠(ハナダマ)→華珠という言葉が使われるようになったようです。

 

ところが、真珠の品質評価が形・キズ・色・巻き・テリといった個別要素を元に総合的に判断されるかなり難しいものであることから、華珠と評価される真珠の中でも当然良いものからそうでないものまで、その品質レベルにおいてかなり差があるというのが実情なのです。

 

このことから「花珠」という言葉の意味を、販売にとって至極都合よく解釈し、【花珠真珠鑑別書等が付属している真珠製品=最高品質】というように連想させるような販売手法が出てきています。

 

以下、日本で最も歴史ある業界組合である日本真珠輸出加工協同組合からの引用です。

 

 当組合が把握する限り、花珠真珠等の最高品質を示す鑑別書付き商品であっても個々の品質の差が大きく、「花珠真珠」の呼称を使用した鑑別書がついた真珠製品全てが最高の品質であるとは限りません。

 

 

このように花珠という鑑別書がついた商品であっても、実際のところその品質にはピンからキリまで存在している、というのが冒頭に挙げたテレビショッピングのような事例、ということになります。

 

このような状況を危惧し、世界中の消費者が誇大広告ともとれるような手法に惑わされずに、適切な商品を適切なかたちで選択できるように、業界のプロである日本真珠輸出加工協同組合が、本当に優れた最高品質の真珠を選別したものが「特選真珠」と呼称される真珠です。

 

 

当組合が認定する特選真珠では、真の最高品質の真珠を選び抜くことに特化し、「最高品質の真珠」=「特選真珠」の位置づけを明確に致しております。
尚、特撰真珠には全ての特撰真珠製品に現品のお写真が掲載された特選真珠認定証を発行致しております。

 

平成20年度から平成25年度にかけ、農林水産省公表の漁業・養殖業統計年報から推測される、アコヤ真珠ネックレス(生産を8mm基準とした場合)の平均生産本数は550,000本となります。
そのため、【アコヤ真珠ネックレスの平均生産本数550,000本】と【平均特選真珠認定数184本】との比率では、およそ0.03%の確率で毎年生産されている事となり、数値上においても特選真珠の希少性をご理解頂くことができます。(引用:日本真珠輸出加工協同組合Webサイト)

 

 

このように特選真珠は、全体の0.03%しか認定されない非常に貴重な真珠です。

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銀座WATATSUMIでも、日本が世界に誇れる産業の一つである真珠産業がより健全なかたちで発展していくために、また消費者の皆様にご自身でご利用になる、ならないは別として、まず最高品質の真珠をご覧いただきたいという想いから、特選真珠を店頭にご用意しております。

 

また特選以外の真珠においても、真珠科学研究所がその品質を保証するオーロラ花珠や、オーロラ天女といった高品質の真珠を中心にご用意しております。

 

銀座WATATSUMIのコンセプトでもある、

1 これまでよりもっと産地や生産者の情報を開示すること。

2 正しい真珠の知識を消費者へ提供すること。

3 品質に応じた適正価格で販売すること。

 

これらを具現化するために、まず最高の品質の真珠を見て頂き、そのうえでご自身のご予算やご要望に沿った商品を選択頂きたい考えています。

 

みなさん、銀座WATATSUMIに足をお運び頂き是非一度、特選の美しさに触れてみてください。

 

その美しさがあなたを真珠目利きの世界へと誘うきっかけになるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





スペイン人の大量真珠生産の犠牲となったものとは!?



2015.12.18



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それでは、真珠(パール)の歴史についてご紹介いたしましょう。

 

スペイン人は真珠採取のために先住民を絶滅させる!

スペイン人に真珠採りをさせられた先住民は次々と死亡し、スペイン人は

バハマ諸島で、労働力不足を解消するため、バハマ諸島で人間狩りをしたのです。

 

ラス・カサスは次のように書いています。

 

真珠の採取による利益が日ごとに増大していった・・・(スペイン人たちはは)ユカーヨス(バハマ)諸島に赴いてそこに残っているわずかばかりのインディオをしらみつぶしに捜し出して捕獲した・・・・真珠採りに豆乳されたユカーヨ・インディオたちは例外なく消耗し、結局死滅していった。

 

エスパーニャ人たちは彼ら(バハマ諸島の住民)を全部船に乗せて、その小島(クバグア島)へ運んで行ったのである。そして、金鉱で金を採掘するよりもずっと苛酷な・・・危険きわまる作業に従事させた結果・・・彼らを殺戮し、絶滅させてしまった・・・あまたの島々に無数に住んでいた人々はこのようにして死に絶えたのである

(引用:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

これが忘れてはならない歴史・・・

これまでラテンアメリカ史では、カリブ海の先住民絶滅の原因は先住民の奴隷化や虐待、疫病による病死、それに自殺などに帰されてきました。しかし、真珠採取も住民絶滅の大きな原因だったのですね。スペイン人の真珠への執念がひとつの地域の住民を消滅させたという歴史的な事実は忘れてはならないでしょう。

 

真珠採取の地として有名になったクバグア島

 

その後も、スペイン人はマルガリータ島やベネズエラ沿岸部で人間狩りをし、クバグア島に送り続け、島は繁栄し、当時真珠採取は最も儲かる仕事となったのです。クバグア島の名は、スペイン全土やヨーロッパ全土に鳴り響いていました。

690個万個の真珠生産量は最高額を記録した!

エンリケ・オッテのカリブ海の真珠によると、クバグア島の真珠の生産量は1522年から26年まで年平均800キロを誇り、1527年には1380キロの最高額を記録しました。直径5.2ミリ、0.2グラムのアコヤ真珠とすると、1380キロは690万個の真珠となるのです。

 

(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)





スペイン人のマルスペイガリータ島での真珠採取の事実とは?!



2015.12.17



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~スペイン人のマルスペイガリータ島での真珠採取の事実をお話しいたしましょう~

 

マルガリータ島は絶好の真珠の採取地!

 

ベネズエラの真珠の産地は、カリブ海に浮かぶマルガリータ島(真珠島)という大きな海域でした。緑豊かなマルガリータ島には多くの先住民が暮らしており、青く静かな海は絶好の真珠の採取地でした。島は新j府取引の中心地でもありました。

 

スペイン人はバハマ諸島で捕まえた先住民に真珠採りをさせていた!

 

当初スペイン人たちは先住民が所有する真珠や黄金を収奪していましたが、それが底をつくと、マルガリータ島のすぐ南のグアバ島を拠点に真珠採取を行うようになりました。クバグア島は無人島でしたので、先住民の襲撃がなく、スペイ人が入植しやすかったのですね。1510年頃から50人以上の人々が堀立小屋を建て住み着くようになり、最盛期には千人以上を超す住民が生活しました。

 

真珠採りをするといっても、スペイン人がするのではなく、カリブ海のバハマ諸島で捕まえた先住民をクバグア島で、海に潜らせ真珠採取をさせたのです。泳ぎがうまい彼らは真珠採りにうってつけでした。

 

インディオの地獄のような日々・・・

 

インディオはカヌーに載せられ、水深6メートルから8メートルの置きに連れていかれます。真珠採りの作業は日の出から日没まで続き、インディオはこの間ずっと泳ぎつづけました。腕の力で体をささえなければなりません。息継ぎなどぐずぐずしていると、スペイン人の監督から早く潜るように棒で殴られます。彼らは一旦この島へ連行されてきたら、死ぬまでこうした生活を続けます。食べ物も満足に与えられず、寝床も地べたに直接木の葉や草を敷いただけでした。しかも、脱走を防ぐため足には鎖がかせられていたのです。そして、インディオは潜ったまま姿を現さないこともありました。それは、そのまま疲れ果て溺れたか、サメや輪にに殺されたのですね。

スペイン人たちはインディオに対して、地獄のような日々の生活を強制したため、大部分のものは短期間のうちに精根尽き果てて、絶命してしまします。

 

(参考文献: 真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)





南米真珠狂騒曲とは?!



2015.12.15



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~さて、南米真珠狂騒曲についてお話しいたしましょう~

 

コロンブスが国王夫妻へ献上した真珠はわずか!

 

さて、ベネズエラに到着したコロンブスが、その地の住民に真珠をもってくるよう命じる、1ファネガ(55リットル)もの真珠が集まりました。しかし、国王夫妻にはそのことをきちんと報告せず、彼らに献上した真珠も160個から170個とわずかでした。そのためコロンブスは後で責められることとなりました。コロンブスとしては真珠の産地の発見をはっきり言いたくなかったのですが、勘のいい航海者たおちはこの事実を見逃さなかったのです!1499年には5つの遠征隊がベネズエラへ向かいました!

 

鈴1個との交換の品は157個の真珠だった!

 

ベネズエラ社会は首長制で、農業経済が発達し、人口は多かったのです。インドのようにに船の入港を監視したり、関税をかけたり、ヨーロッパ人の商品にケチをつける官憲はいませんでした。むしろ宴会を開いて遠来の客を歓待し、水や食料をくれ、船の修理を手伝ってくれた。

 

スペイン人たちは、そうした人々に鈴やガラス玉、針や留めピンなどの安物の品を渡し、代わりに真珠や金製品の装飾品を要求したのです。1499年オヘーダ船長の遠征隊に参加したアメリゴ・ヴェスプッチは1502年の私的書簡のんなかで、鈴1個との交換で157個の真珠をもらったと報告しています。ゲーラとニーニョの遠征隊ではベネズエラの航海で約75キロ以上の真珠を入手したそうです。

 

暴力で真珠を収奪した!

 

こうしてベネズエラは一獲千金を夢見る航海者や征服者が次から次へと押し寄せました。しかし、彼らは暴力を使い、住民を威嚇します。集落の首長を人質に取り、拷問することで、真珠や黄金を徹底的に収奪しました。見つからない場合は殺したりもしたそうです。

 

先住民も換金商品となった!

 

ベネズエラの先住民は、スペイン人の非道的な行為に憤りを感じ、彼らの上陸を許さないようにしましたが、結局スペイン人が勝ちました。戦いに敗れた先住民は捕虜として捕獲され、普通に暮らしていた先住民もスペイン人につかまりました。ヴェスブッチは、ベネズエラからの帰国時に立ち寄った島で232人の先住民をちからずくで捕まえたと記しています。

 

逮捕された先住民はスペインまで連行され、奴隷として売却されました。彼ら自身が換金商品となったのです。

 

大航海時代初期の新世界の物品は、真珠、黄金、先住民だったのです。

 

(参考文献:真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書)

 

 

 

 







 

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